竹内トモローです。ギター唄い弾きをしています。 「美ファ空しばり」と言う名でひばりソングを歌ったり「ただとも」(キャンディーズトリビュートアコースティックユニット)としてもライブ活動展開中!


by ketch_live

カテゴリ:プロフィール( 12 )

お知らせとお願い。

メールアドレス変更しました。
ketchあっとま〜くlion.おーでぃーえぬ.ne.jp
これからのご連絡はこちらへお願いします。
もちろん、赤い文字は記号やアルファベットに変換して下さいね。

以前使用していたso-netのアドレスはちょっとした手違いで
使用料を払い忘れてて、ついに止められちゃった。ヽ(  ̄д ̄;)ノ

ホームページもhttp://www007.upp.so-net.ne.jp/ketch/
いずれ消えることになるでしょう。

でも、このブログは消えませんので、ブックマークをhttp://ketchsong.exblog.jp/
に変更、あるいは追加しといて下さい。

それから、メール設定を必死にやっていた時に、
アドレスブックもなんだか大変なことになってしまいまして、
みなさんのアドレスが分かってる人もあれば、分からなくなっちゃった人もあるので、
どうか、みなさんからの励ましのお便りをお待ちしております。
よろしくお願いします。m(_ _)m



そう言えば、督促のメールが来てたんだよな・・・
あれってこおゆうことだったんだな・・・ぶつぶつぶつ・・・(_ ..)
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by ketch_live | 2009-11-23 00:17 | プロフィール
ソロ活動を始めた頃、回りを見渡せばソロで弾き語りをやっている人が増えていた。
ストリートミュージシャン達で溢れていた。
アコースティックミュージックを受け入れる店も増えていた。
そして今では弾き語りでオリジナルやカバー、好きな曲を好きなアレンジで歌っている。唄い弾きしている。
ライブハウスを探して歩いていた頃に比べ、
ようやく音楽が楽しめるようになってきた。
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by ketch_live | 2008-07-15 21:19 | プロフィール

(12)ソロへ

やがてジェリービーンズも閉店することなり、
僕らは次の演奏場所を探すことになるのだが、
この頃から本業の方が忙しくなりライブ本数も減っていった。
毎回同じ曲、同じアレンジで演奏することに不満を感じ
モチベーションを保つのが難しくなった。
解散というけじめはつけていなかったが、またソロに戻って行った。
2000年を過ぎた頃だった。
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by ketch_live | 2008-07-09 18:34 | プロフィール

(11)S&Gマニア

90年代の終わり頃、インターネットが普及し始めると情報量が格段に増した。
関西のサイモン&ガーファンクルカバーバンドとネットを通じて出会い、
彼らを名古屋に呼んだり、大阪に招かれたりしてジョイントライブを楽しんだ。
また、非常にコアなS&Gマニア達にも出会った。
彼らはブートCDでしか聴けないバージョンで演奏すると非常に喜んでくれた。
しかし、異常に盛り上がるため一般のお客さんとの温度差が激しいのが難点だった(笑)
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by ketch_live | 2008-07-02 20:31 | プロフィール

(9)TATA BAND

毎月来てくれるお客さんもいるので何とか楽しんでいただこうと、
再びバンド化していく。
ベースとドラム。そしてギター。
お手本がサイモン&ガーファンクルのセントラルパーク再結成ライブだったので
ホーンセクションも必要だった。
そこでサックスとフリューゲルホーンを追加。
これが、かなり痛快で他のバンドにはない魅力となった。
時々、痛い失敗となったこともあったが…(笑)
また、合間にやるオリジナル曲もウケてリクエストをいただくこともあった。
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by ketch_live | 2008-06-24 23:21 | プロフィール
再びTATAは活動を始める。
ライブハウスでは集客が大切である。
安定した集客を得るのに手っ取り早いのは以前からカバーしていた
サイモン&ガーファンクルを専門にやるのが良いのではないかと考えた。
そして、今池のライブハウス「パラダイスカフェ」にマンスリーで出演するようになる。
サイモン&ガーファンクルのコピーバンドは他にほとんどいなかったせいなのだろうか、
遠く他府県から来てくれるお客さんもいた。
1990年を過ぎた頃だった。
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by ketch_live | 2008-06-19 09:22 | プロフィール

(6)何か満たされない

自分達の力を試そうとコンテストに出たこともあった。
作詞賞を貰ったが何か満たされない。
東京の上馬の「ガソリンアレイ」というライブハウスの
オーディションを受けに行ったこともあった。
見事オーディションには通ったものの、
目的は東京のライブハウスで力を試すことだけだったようなもなので
その後の出演はしなかった。
ぴあ関東版にTATAの名前は載ったものの、
交通費を出してくれるわけもなく、
ただの思い出造りとなってしまった。
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by ketch_live | 2008-06-13 22:05 | プロフィール
高校を卒業すると、僕らはライブハウスに出たいと思うようになった。
しかし世の中はMTV時代。
マイケルジャクソンの時代。
ビジュアル系が主流でアコースティックギター一本でS&Gスタイルで歌う僕らを受け入れてくれる所はほとんどなかった。
そんな中で弾き語り専門のライブハウスが地元名古屋栄にあった。
「ぺっかあ」という店だった。
他県から遠く車を走らせてくる熱い男が何人もいて、とても刺激になった。
そこで月一のペースで出演するようになる。
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by ketch_live | 2008-06-11 20:23 | プロフィール

(4)TATA


サイモン&ガーファンクルをやりたい!ハモりたい!
誰かいないか!歌えるやつ。と思っていたら…、いた!!
しかも後ろの席の! しかもS&Gファンが!!!
人生初のユニット「TATA」の誕生の瞬間だった。
学校の中の音の響きの良い場所を探してはSound of silenceを歌ってハーモニーのマジックを確かめる毎日。
オリジナル曲もS&Gに影響され不思議な感じを出そうと妙なコードばかり使って曲を書いていた。
今思えばこれはまちがいだった。
変な手探りのコードばかりなのでハモりにくいのである。
これは後から解ったことなのだが、ポールサイモンはハモりを意識してなるべくテンションコードを使わないようにしたらしいのである。
シンプルなオープンコードなのに、あの森の奥に吸い込まれるような不思議な感じはアートガーファンクルの考え出したハーモニーによるところが大きいということのようだった。
それでも僕らはつまずきながらもオリジナル曲を完成させていったのだ。
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by ketch_live | 2008-06-05 22:14 | プロフィール
高1の夏までは長渕一本でひたすら叫んでいた。
しかし秋になると気になるアーティストの曲がラジオで頻繁に流れるようになる。
サイモン&ガーファンクルである。
ニューヨークのセントラルパークで再結成コンサートをやったらしいのだ。
今までに聴いたことのないような美しいギター。
サウンドオブサイレンスやスカボローフェアのイントロ、ミセスロビンソンのリフ。
巡恋歌をガチャガチャ鳴らしていた同じ楽器から出ている音とは信じがたかったのである。
そして、あのハーモニー!ハモるのは素敵なことだと教えてくれたのはサイモン&ガーファンクルだった。
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by ketch_live | 2008-06-03 21:42 | プロフィール